自分で書いたものです

 

信 心 

《今、私が問われていること》

 

連日、テレビ・新聞等で東日本大震災が大きく取りあげれらている。私達、戦後生まれの人間には最大の大震災である。阪神大震災・新潟大震災・能登大震災・アメリカ同時多発テロ、いくつもの災害・戦争を見て来た金沢の災害ボケした私にも今回の災害には強烈なインパクトがある。地震で始まり、大津波、原子力発電所の爆発、放射能漏れ、食料買占め、ガソリン・水不足と今なおさまざまな問題が起きている現状である。これだけ私の感情・思考を揺さぶる出来事があっただろうかと考える。現在、中東情勢では現に戦争をしているのに、どうしてこの大震災では感情・思考が揺さ振られるのか。日本で起きた身近なことだからか?同じ日本人だからか?観たことのある風景だからか?たぶん私は自分がそこに明日はわが身に見えたのだと思う。災害のない金沢だからなおさら次は私の所ではないかという思いが頭をかすめる。今回は「明日はわが身」という感情・思考の変化を第111213願から見てみたい。

 

 

11願・【必至滅度の願】

  《たとい我、仏を得んに、国の中の人天、定聚に住し必ず滅度に至らずんば、正覚を取らじ》  (一七頁)

 

「必ず滅度に至ることが出来る」と言われている。親鸞聖人は「唯信鈔文意」に《「涅槃界」というは、無明のまどいをひるがえして、無上涅槃のさとりをひらくなり。》(五五三頁)、また《「涅槃」をば、滅度という、無為という、安楽という、常楽という、実相という、法身という、法性という、真如という、一如という、仏性という。仏性すなわち如来なり。》(五五四頁)と言われる。また「正信偈」で「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」(二〇四頁)、「この身、このままで涅槃を得る」と言い切られている。

 

釈迦は来世を恐れたり、来世を期待したり、そのどちらも妄想であると、はっきりと中道という形で示している。そして応身仏という形で完全燃焼する道、入滅という道を身をもって教えてくださっている。

 

金子大榮は「涅槃はわれわれをしてほんとうに死なしめるものである。死んでも死にきれないという言葉がありますが、われわれは涅槃というものがなければ、死んでいくこともできなければ生きていくこともできない。ほんとうに楽々と死ぬことのできる境地は、どこにあるかというと涅槃の境地である。かるがゆえにそこにおいてまたわれわれはほんとうに生きることができる」(四十八願講義・五十九頁)と言われいる。

 

 

12願・【光明無量の願】

  《たとい我、仏を得んに、光明能く限量ありて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ 》 (一七頁)

 

親鸞聖人は「真仏土」の巻で「この光に遇う者は、三垢消滅し、身意柔軟なり。歓喜踊躍し、善心生ず。もし三塗懃苦の処にありて、この光明を見ば、みな休息を得て、また苦悩なけん。寿終えての後、みな解脱を蒙る。」(三〇〇~三〇一頁)と言われる。また「和讃」で「光明寿命の誓願を 大悲の本としたまえり」(五〇二頁)と言われます。衆生が苦しみ悩んでいることを痛ましいとご覧になっている大悲をもって仏を仰がれたのが親鸞聖人です。大悲が光明と寿命という形で示されている。「唯信鈔文意」には「一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。」(五五四頁)また、「尽十方無碍光如来ともうすひかりにて、かたちもましまさず、いろもましませず。無明のやみをはらい、悪業にさえられず。このゆえに、無碍光ともうすなり。無碍は、さわりなしともうす。しかれば、阿弥陀仏は、光明なり。光明は、智慧のかたちなりとしるべし」(五五四頁)と言われるように、「尽十方無碍光如来」というのは、阿弥陀仏の光明によって、あの人もこの人も輝いている、あれもこれも輝いているということがはっきりする。だから、阿弥陀仏を見るということは、実はありとあらゆるものが、仏でないものはなかったという世界に触れることになります。また、光明は智慧が形をとったものです。光はものを見せるはたらき、智慧をかたどったものです。光によってものを見せていただくのです。ですから、阿弥陀仏の光によってありとあらゆるものが仏であることが照らし出される。それは同時に、今までものが見えていたつもりでも、実は見えていなかったことに気づかされる。

 

 

13願・【寿命無量の願】

  《たとい我、仏を得んに、寿命能く限量ありて、下、百千億那由他の諸仏の劫に至らば、正覚を取らじ》  (一七頁)

 

迷い苦しむものが一人でもいるならば、いのちを決して終えるわけにはいかないという大悲を表しているのが寿命無量の願です。

 

親鸞聖人は大阿弥陀経とは言いません。「仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏壇過度人道経」という言葉を非常に大事されています。そのことからも阿弥陀は無数の諸仏を生み出すはたらきでありますから、無数の諸仏によって証しされてきたのが阿弥陀の大悲なのです。諸仏が代々伝えるというかたちで、阿弥陀の寿命は永遠に続いてきました。

 

金子大榮は「人間の純粋の精神は生まれたときは何の働きもないから、何も一向にわからない。人間の精神がだんだん覚醒してだんだん歳月がたつにしたがって若くなってくる。若くなっていかないのはそれが寿命でないからであります。精神が発達するのである。人間の精神がほんとうに伸びていきますと、他の悩みはわが悩みである、他の喜びはわが喜びである、という若々しい生命が出てくる。その若々しい生命になって、それがいつまでたっても退転しないことを寿命無量という。われわれが内にみずから感じるところにほんとうの命というものがある。その命のあるところに過去があって未来がある。そうしてまたそこに同体の大慈悲というものがある。そこにほんとうにすべての人がみな命を感じ、一つとなっていくところの寿命無量というものがある。」(四十八願講義・八十一~八十三頁)と言われます。

  

今なお続いている東日本大震災に「明日はわが身に見えた」という感覚・思考の変化は、第12願・第13願が阿弥陀仏の光によって人間の闇を照らし出され、人間の寿命(精神)が発達する。発達することによって同時に慈悲が現れる。またそこにすべてのものが仏だったと気づかされる。そこで第11願によって、諸仏が私達にこの身・このままで涅槃を願われ、釈迦が示した完全燃焼する道(入涅槃)を願われ、またそれを願うのが人間の生死の根源だといわれる。そこに私の信心の問題が問われてくると感じます。

 

 他 力 真 宗 

『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。(二〇三頁)

 

 

《後   悔》

 

 私は死ぬ時に後悔しない人生であったと思えれば幸せなのではないかと思っている。だから後悔しない人生とはどんなことだろうと考える。昨年、終末期医療医の大津 秀一氏の書かれた「死ぬときに後悔すること25」という本に出遇った。

 

内容は、『①健康を大切にしなかったこと②たばこを止めなかったこと③生前の意思を示さなかったこと④治療の意味を見失ってしまったこと⑤自分のやりたいことをやらなかったこと⑥夢をかなえられなかったこと⑦悪事に手を染めたこと⑧感情に振り回された一生を過ごしたこと⑨他人に優しくしなかったこと⑩自分が一番と信じて疑わなかったこと⑪遺産をどうするかを決めなかったこと⑫自分の葬儀を考えなかったこと⑬故郷に帰らなかったこと⑭美味しいものを食べておかなかったこと⑮仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと⑯行きたい場所に旅行しなかったこと⑰会いたい人に会っておかなかったこと⑱記憶に残る恋愛をしなかったこと⑲結婚をしなかったこと⑳子供を育てなかったこと子供を結婚させなかったこと自分の生きた証しを残さなかったこと生と死の問題を乗り越えられなかったこと神仏の教えを知らなかったこと愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと』である。

 

《昨今の状況》

 日本における状況は、自殺者【3万513人・一日約83・6人】(2011年・警察庁)・相対的貧困率【16%】(2009年・厚生労働省)・児童虐待相談【5万5154件・一日約151件】(2010年・厚生労働省)・年収300万円以下【40・5%(内200万円以下22・9%・約1042万人)】(2010年・国税庁・4552万人対象)・生涯未婚率【男16・7%・女11・9%】(2010年・国勢調査・40歳以上対象)・死亡数【126万1千人】・出生数【105万7千人】(2011年・厚生労働省)昨年度は20万4千人減となっている。

 現在、日本企業を苦しめているといわれる六重苦(円高・高い法人税・厳しい労働規制・温暖化ガス排出規制・外国との経済連携の遅れ・電力不足)がある。世界では北朝鮮の指導者の交代並びに大きな変化を起こしかねない出来事(一月台湾総統選挙・三月ロシア大統領選挙・五月フランス大統領選挙・十月中国共産党大会・十一月アメリカ大統領選挙・上下両院選挙・十二月韓国大統領選挙)等がある。

 では親鸞聖人の時代では何があったのか。大きなものでは、「養和の飢饉」【九歳・出家】・「寛喜の飢饉」【五八歳・三部経読誦をやめる】・「正嘉・正元の飢饉」【八六歳】等がある。

《二〇一一年》

二〇一一年度といえば、我々大谷派では「宗祖聖人七五〇回忌」となるが、世間では「3・11・東日本大震災・絆」となろう。東日本大震災は【M9・津波の高さ最大16・7m】(気象庁)・【死者1万5854人・行方不明3155人・関連死1407人・負傷者2万6992人】(2012・3・11・警視庁)・避難【34万3935人】(2012・3・11・復興対策本部)である。

被災者の言葉として、『すぐ後ろに津波が迫った。間に合わないと判断した母は叫んだ。「おらはいいから、後ろ向かねえで早く車走らせろ!頑張って生きろ!」。声に押され急発進した後ろから「バンザイ!」と家族の脱出を喜ぶかのような叫び声。直後に黒い水が一帯をのみ込んだ。「助けてくれてありがとう」「助けてあげられなくてごめん」お菓子を食べる時も「弟もほしいかな」と遺影の横に置く。「悲しみを一生抱いて生きるしかありません」「救ってやれず、申し訳なかった」「オレばっかり助かって申し訳ない」「もし死亡届を出すなら、私が父が死んだって書くわけでしょう。そんな字書けない」「早く見つけてあげたい」県外に避難した知人は「車に『ヒバクシャ帰れ』と落書きされた」と悲しんだ。娘が戻ってくるわけではないことはわかっている。「荷物はずっと背負っていく。ただ、整理して背負っていきたいんだ」「涙を超えて強くなる」と声を震わせて誓った。米隊員が救済活動を終えて被災地を去る際、「(被災者が)繰りかえしお辞儀をし、涙を流していた」その人々の姿は「一生忘れられない」と振り返る。「今日は3・11を悲しむだけでなく、生かされたことを感謝して頑張る」』等がある。

ビートたけしが、『「二万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことがまったく理解できない。そこには「一人が死んだ事件が二万件あった」のだ。二万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えている』(週間ポスト)とある。

問いて曰わく》

 先人が残された言葉に、「生(生きること)は問いであり、死は答えである。」V.E.フランクル・「如何に死ぬかを学べば、如何に生きるかも学べるんだよ。」モリー・シュワルツ・「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。」チャプリン・「われわれの生まれ方は一つ。だが死に方はさまざま。」ユーゴスラビアの格言がある。

これらをふまえ第十七・十八・十九・二十願をみてみたい。

 

 【十七・十八・十九・二十願をみるにあたって大切な言葉】

 

        おおよそ誓願について、真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行願は、諸仏称名の願なり。その真実の信願は、至心信楽の願なり。これすなわち選択本願の行信なり。(二〇三頁)

 

        『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。「顕」というは、すなわち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土に真因にあらず、諸機の三心は自利各別にして利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。(三三一頁)

 

        『大本』(大無量寿経)に拠るに、真実・方便の願を超発す。また『観経』には方便・真実の教を顕彰す。『小本』(阿弥陀経)には、ただ真門を開きて方便の善なし。ここをもって三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなわちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。これに依って方便の願を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願は、すなわちこれ臨終現前の願なり。行は、すなわちこれ修諸功徳の善なり。信は、すなわちこれ至心発願欲生の心なり。この願の行信に依って、浄土の要門、方便権仮を顕開す。(三三九頁)

 

        いま方便真門の誓願について、行あり信あり、また真実あり方便あり。「願」とは、すなわち植諸徳本の願これなり。「行」とは、これに二種あり。一つには善本、二つには徳本なり。「信」とは、すなわち至心回向欲生の心これなり。(三四四頁)

 

 第十七願・諸仏称揚の願・浄土真実の行・選択本願の行

 「たとい我、仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、我が名を称せずんば、正覚を取らじ。」(十八頁)

 

「この行は、大悲の願より出でたり。」(一五七頁)また、『唯信鈔文意』「称名の本願は、選択の正因たること、この悲願にあらわれたり。」(五五〇頁)とある。第十七願は、「南無阿弥陀仏」という名になって、人間の言葉にまでなって出てくる。自らをあえて形にして、我々の前に現れてくださる。

 

「我仏道を成るに至りて名声十方に超えん。究竟して聞こゆるところなくは、誓う、正覚を成らじ、と。衆のために宝蔵を開きて広く功徳の宝を施せん。常に大衆の中にして説法師子吼せん」(一五七頁)とある。本当は、阿弥陀という名が、「一人も漏らさないぞ」と呼びかけている。阿弥陀の名前をもって呼びかけたいと、それをもって説法を獅子吼する。

 

「その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲えば、みなことごとくかの国に到りて自ずから不退転にる」(一五八頁)また、「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。」(一六一頁)とある。真実の行と言われる無碍光如来の名を称することは、ほめたたえるということ。だから、単に口から音を出すという唱え方ではない。それが、「称」という字で確認されている。だから、阿弥陀の名を称えることを通して、阿弥陀の本願を聞くということが起こる。称える人によって値打ちがあったりなかったりということではない。称名そのもの、南無阿弥陀仏そのものが、説法という意味をもつ。

 

『唯信鈔』「一切の善悪の凡夫、ひとしくうまれ、ともにねがわしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとなえんを、往生極楽の別因とせんと、五劫のあいだふかくこのことを思惟しおわりて、まず第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんという願をおこしたまえり。」(九一八頁)また、『唯信鈔文意』「第十七の願に、十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となえられんとちかいたまえる」(五五〇頁)とある。どのようにして衆生を生まれさせるかというと、阿弥陀という三つの字、この名号を称えるものを極楽に往生させる特別の因とする。それを考えに考え抜いたと、諸仏にほめられたいという願いを起こされたと、書いてある。諸仏にほめられることを通して、衆生を導く、ありとあらゆる所に阿弥陀という名、摂取不捨の世界が響き渡っていくようにしたいというのが、この第十七願です。第十七願には、具体的に阿弥陀の出遇い、阿弥陀をほめたたえる方々を「諸仏」と呼んでいる。この諸仏の勧めを通して、全ての存在が阿弥陀に遇い、歩むことが出来る道が開かれている。

 

第十八願・念仏往生の願・至心信楽の願・正定聚の機

 「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」(十八頁)

 

「この心はすなわち如来の大悲心なるがゆえに、必ず報土の正定の因と成る。」(二二八頁)とある。法蔵菩薩が、十方衆生の救いということと、私が覚りを開いていくということとは、同時であると誓っておられる。ただ「唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」と書かれている。

 

「もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法と言わん、かくのごときらの見をもって、もしは心に自ら解り、もしは他に従いて、その心を受けて決定するを、みな「誹謗正法」と名づく」(二七三頁)また、『尊号真像銘文』『「唯除五逆 誹謗正法」というは、唯除というは、ただのぞくということばなり。五逆のつみびとをきらい、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつのつみのおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべし、としらせんとなり。』(五一三頁)とある。「唯除五逆 誹謗正法」とは、五逆というのは大変痛ましい。それを私に知らせようとする。誹謗はお互いに傷つけ合っていくような生き方の元にあるもの。それが痛ましいのだということを私に知らせるために「唯五逆と正法を誹謗せんものは除く。」といわれる。これが唯除という言葉の内容である。

 

『尊号真像銘文』「煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし。濁悪邪見のゆえなり。」(五一二頁)また、『歎異抄』「自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。」(六二七頁)とある。自力のままでは助からない。自力のこころをひるがえし、捨てるところに本願によって生きていくということが起こる。だから、善人や自力作善のひとは、謗法に当たる。だから、「唯除五逆 誹謗正法」というのは、私のことを言っている。

 

第十八願は、十方衆生、みな漏れずに往生させたいということを願われている。しかし、その最後には「五逆と正法を誹謗せんをば除く。」と書いてある。これは阿弥陀仏が救わないのではない。「念仏一つです」と言っているのに「はい」と言わない私に「唯除」と呼びかけて、どうやって生き方を転換させるか。これに、第十九願と第二十願がある。「至心信楽」は私が起こす心ではない。どこまでも、教えによって目覚めさせられる世界です。それに対して、至心発願と至心回向の二つは、私が固めた信心です。金子 大榮氏は、『第十八願が「大悲真実の願」でありますならば、第十九願は「大悲方便の願」であります。しかも方便なしには真実に徹することはできません。われらはこの願によって、初めて修諸功徳の限界を知って、念仏往生の願心に帰入するのであります。』「四十八願講義・一一六頁」とある。

 

第十九願・修諸功徳の願・無量寿仏観経の意・至心発願の願・邪定聚機・双樹林下往生

 「たとい我、仏を得んに、十方衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、心を至し願を発して我が国に生まれんと欲わん。寿終わる時に臨んで、たとい大衆と囲繞してその人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ。」(十八頁)

 

「定散諸善は方便の教たることを顕すなり。」(三三二頁)また、「観門をもって方便の教とせるなり。」(三三二頁)また、『「修諸功徳の願」と名づく、また「臨終現前の願」と名づく、また「現前導生の願と名づく、また「来迎引接の願」と名づく。また「至心発願の願」と名づくべきなり。」(三二六頁)とある。第十九願は方便である。修諸功徳というのは、いろんな徳目を示し、それを私に勧めていることを表わす名前である。ところがあとの三つは、阿弥陀如来が、「私が迎えに行く」と言っている。これは諸々の功徳を修めなさいと勧められ、実行しようと思っても、途中でいのち終わることが起こる。だから如来は、「何処で終わったとしても私が迎えに行くぞ」と誓っておられる。努力できたものも、あまりできなかったものも、どちらも見捨てないということを誓っている願文である。何処で倒れても、どんな失敗をしても、どんな生き様になっても、一向専念に無量寿仏を念ずるという一点で誰もが助かっていく道があるという事に気づかせようとする。これが第十九願である。

 

ただ、「修諸功徳」はどこまでも「仮」です。仮というのは、私を真実に導く働きでもありますが、これを実体化し、執われてしまったら、それは偽ものになる。基本は、「ただ念仏」と呼びかけても「はい」と言えない私を見抜いて、第十九願をもって呼びかけている。だから、これは第十八願の後にある。第十八願で呼びかけられても「はい」と言えない私。まず努力するということを勧め、しかし努力ということにおいて仏さんの仕事を自分の方に取り込んでいるんだという問題に気付かしめることを通して真実なものに触れさせようというのが仏の大悲である。自力の様々な善根を積んでいくということにおいて自分自身の存在を確認していくような人間の在り方を気づかせていく教えである。

 

第二十願・植諸徳本の願・阿弥陀経の意なり・至心回向の願・不定聚機・難思往生

「たとい我、仏を得んに、十方衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、もろもろの徳本を植えて、心を至し回向して我が国に生まれんと欲わんに、果遂せずんば、正覚を取らじ。」(十八頁)

 

「これすなわち真門の中の方便なり。」(三四五頁)また、「本願の嘉号をもって己が善根とするがゆに、信を生ずることあたわず、仏智を了らず。かの因を建立せることを了知することあたわざるがゆえに、報土に入ることなきなり。」(三五六頁)また、『阿弥陀如来は、もと果遂の誓いを発して、諸有の群生海を悲引したまえり。すでにして悲願います。「植諸徳本の願」と名づく、また「係念定生の願」と名づく、また「不果遂者の願」と名づく。』(三四七頁)とある。第二十願も方便である。ただ念仏一つということ。しかし、念仏一つという形は決まるのだが、その念仏を称えている発想、根性はやはり、功徳の本として、善根としての念仏に期待している。第二十願において何が願われているかというと、一つには「係念定生」。念仏の回数とか、何年称えたかではなく、大事なのは、称えることを通して、阿弥陀仏の世界を念じて生きていくことが始まる。そこに、一人残らず我が国に生まれさせたいという「不果遂者」という願名の意味がある。

 

第二十願の和讃に、「至心回向欲生と 十方衆生を方便し 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける」又「果遂の願によりてこそ 釈迦は善本徳本を 弥陀経にあらわして 一乗の機をすすめける」又「定散自力の称名は 果遂のちかいに帰してこそ おしえざれども自然に 真如の門に転入する」(四八四頁)とある。親鸞聖人が、第二十願の問題をはっきりさせたことによって、浄土真宗が本当の意味で明らかになったといえる。

 

総 論

 

  呼びかけられる前に目覚めたということはありえない。呼びかけられて初めて出遇う世界がある。教えに呼びかけられて、わが身の事実に出遇える。だから「教行信証」と、「行」が先なのです。親鸞聖人は「教・行・信・証」と受けとめました。順序一つを見ても、私に道を求めて歩んでいくという心が起こるのは、仏からの呼びかけが先にあるからだということを示す。「教・信・行・証」であれば、「あの宗教を信じてみよう」という私の信心。親鸞聖人の言われる信心はそうではない。「この道を行け」ということを聞いて、「ああ、そうだったのか」と、本当に頷いた信心。だから、どこまでも呼びかけられた後の信心です。

 

そもそも教えが出来たもとは「凡小を哀れみて」(一五二頁)と誓われた願いである。親鸞聖人の出遇われた仏道は、阿弥陀仏の本願によって成り立つ仏道です。人間の能力や素質、ましてや生まれや性別などによって決定される仏道ではない。どこまでも阿弥陀仏の本願によって私が苦しみ悩みを超えていくという仏道である。仏教は人間が苦しめ合い、傷つけ合うことを痛ましいと教え、傷つけ合うことをどのように超えていくかというところが出発点です。阿弥陀仏の本願の仏道は、私の能力や、素質や、そういうものによっては苦しみ悩みは超えられないことを明らかにしている。覚りというのは、何か特別なことを考え出したということではなく、なぜ傷つけ合うのかという、その根本に目を覚まされたのです。親鸞聖人は「不断煩悩得涅槃」という道に立たれました。親鸞聖人は煩悩に埋没することを勧めているのではない。教えを聞いたからといって、貧欲や瞋恚が消えるわけではない。しかし貧欲や瞋恚を根拠として生きないということです。それに振り回されずに、歩んでいくことが出来るというのが、「不断煩悩」という道です。なぜ成り立つのかと言うと、本願に導かれるからです。本願が私を招き呼び、「こっちを向いて生きろ」と呼びかけ続けるからです。ですから、「不断煩悩」というのは、私が立派になることでもなく、間違いを犯さなくなったのでもありません。本願からの呼びかけによって、煩悩を中心に生きることの痛ましさを教えられ、そして、どこを向いて生きるかということを一歩一歩教えられていく。これが「不断煩悩」の道です。

 

第十八願は「難思議往生」・第十九願は「双樹林下往生」・第二十願は「難思往生」と親鸞聖人は言われます。阿弥陀仏に導かれることを中心にする生き方は、「難思議往生」です。これは誰もが平等である世界。「双樹林下往生」は、どれだけ功徳を積んだかで、往生にもランクがあると思う生き方。「難思往生」は、念仏に触れていないわけではない。みんな平等であるという世界は知っている。ところが、そこに無理やりランクを付ける。平等の教えに触れながらも、平等の世界をどこかで知りながらも、その世界をいただけない。難思議往生というのは、落ちたところが広い世界であった。そういう生まれ方です。

 

 念仏は大事だけれども、念仏を自分自身の「わかる」という範疇に取り込んでいってしまう。念仏や真宗の教えを自分の都合のいいように、手段や武器として使ってしまう私でしかないと、徹底して知らしめることが、聞法である。聞法を通して凡夫であることを頷き、凡夫と凡夫がお互いに生きあっている世界(穢土)で、本当の拠所を大切にしていくんだということを、自分の全エネルギーをもって証明していくことが、私の課題である。自覚においては凡夫であるけれども、仏からみると諸仏である。凡夫が凡夫として凡夫の罪の自覚をすることで、私が私の思いを超えた根拠にふれ、その根拠を大切にして、この世界において語っていくことが、諸仏の働きをすると仏はみてくれる。自力の執心、わかるということをどこまでいっても超えることはできない存在であると、聞法を通して徹底的に知っていく。そのことがはっきりしないと、三願転入も、諸仏称名も、私が念仏し生活していくということも、はっきりしてこない。

 

《後      悔》

 これらの後悔に興味を感じる私。まさに第十九願の私。

 

《昨今の状況》 

 念仏一つと言いながら、昨今の状況に右往左往してしまう私。まさに第二十願の私。

 

《二〇一一年》 

 「東日本大震災」はまさに他力からのメッセージとして自分は生かされていたとあらためて気付く私。まさに第十八願の願いに照らされている私。「宗祖聖人七五〇回忌」に奇遇にも起こった出来事として、第十七願「南無阿弥陀仏」と共に、私は結び付いていかなければならない。

 

《答えて曰わく》 

 「ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をうて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。」(三五六頁)       

 

南無阿弥陀仏】

 

往相・還相              

謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。》【教巻・一五二頁】

 

 

気になる言葉がある

 

   智に働けば(かど)が立つ。情に(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい

 

『草枕・冒頭

 

   五木寛之 氏が日本を「経済は自動車でいうとアクセルだ」「宗教はブレーキだ」「政治がハンドルだ」日本はアクセルだけをふかして、ブレーキもハンドルも壊れたままずっときてしまっているのではないか?       

『つながりを生きよう・二〇九頁

 

   人間は動物出身でありながら、よくぞ、これまで進歩したものだという事は、驚嘆に値するが、限界を知らぬという事が人間の盲点となって、自らを(ほろぼ)すようになるのではないか。総ての動物中、とび離れて賢い動物でありながら、結果からいうと、一番馬鹿な動物だったという事になるのではないかという気がする。

『和讃に学ぶ・正像末和讃・一七一頁

 

   清沢先生は、「人間の生き方はけっきょく泥棒か乞食かのどっちかだ。月給にしても取って生きるなら泥棒だし、もらって生きるなら乞食だ」           

『死にしなの念仏・一八七頁

 

 

以上四つの言葉を踏まえて往相・還相を見てみたい。

 

 

さまざまな往相・還相の捉え方

 

]  本多 弘之 氏【往相の廻向は、わたしたちが現世での煩悩の生活を超え、浄土へと往かせるものであり、還相は逆に浄土からはたらき、浄土についていない者にそのための功徳を修めさせるというとらえ方もあります。本当はひとつのはたらきが2つに分かれているだけであって、どちらも阿弥陀仏の本願力がはたらいている。自分でする必要もなく、何かをしてできるわけでもなく、ただその本願力にまかせるだけ】

 

]  曽我 量深 氏【往還の対面だととれえました。往相の廻向をいただくことができれば、還相の廻向に出遭える、往還がぶつかるところにわれわれは生きるということです】

 

]  金子 大榮 氏【親鸞が往ったのと同じように、われわれも往くことができる。往かせようとするはたらきが往相であり、その後ろ姿の還相に後から往く者は出遭えるととらえました】

 

親鸞・一一〇頁

 

]  高橋 卯平 氏【往相は上り坂だが還相になると下り坂で、遊びながら自然のうちに相手によろこんでもらえる。その往相も還相もいただくばかりなんだ。】

 

『北の大地に念仏の華ひらく・一七一頁

 

]  林 暁宇 氏【お念仏によって浄土に必ず往生し、先に浄土に往生している自分の親しい人と逢わせてもらえる。また、後から来る人ともそこで逢わせてもらえる。決して別れたきりじゃない、と言われる。そしてそのことを御開山聖人は、自分の師匠法然上人のことを、「浄土に還帰したまえり」「浄土に帰りたまいにき」と、こういうふうにお浄土へお帰りになられましたと、お師匠さんのことをはっきりおっしゃってます。ということは、自分もこの命終えたら、その浄土に先にお帰りになっておる法然上人のところへ帰らせていただくんだと。これが、「謹んで浄土真宗を案ずるに二種の回向あり。一つには往相二つには還相」と。浄土に往生させていただくと同時に、この世に残っている有縁の人のところに帰ってきて、そういう人達をまた同じく念仏の道に縁を結んで、必ず浄土へ往生する身におさそいさせていただく。そういうお力を如来からたまわる。自分の力でするなら、これは自力です。自分の力で出来るはずはない。如来の回向によって、仏になり、その力をたまわるんです。浄土に往生すると同時に、還相させていただく。】       

人間死ねば仏になる・四五頁

 

]  池田 勇諦 氏【『嘆異抄』には「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(六四〇頁)という機の深信の言葉だけが引用されて、法の深信の言葉は見えておりません。そのことから率直に言えば、真宗の信心は二種深信として説かれますが、実は「機の深信」の一種深信に極まると言える。なぜなら「機の深信」は、「法の深信」から開かれたもの。それはどういうことかと言えば、南無阿弥陀仏が信ぜられたということは、わが機の無効さが信ぜられたことだと明かす。これぞ「法の深信」の自己批判です。したがってそれは真実を求め真実を生きることについて、いかに虚偽であり、無力であるかの自覚にほかならない、これこそ真理に対する傲慢な我あり方が知らせれることである。ここに信心と言われることが、二種深信ではなく一種深信である。つまり二種深信は「機の深信」という自覚の成り立つ過程を明かすものですから、事実的には機に深信に尽くされると言える所以です。】

 

真宗の実践・七七頁

 

]  平野 修 氏【「南無」というところに「機の深信」があり、「阿弥陀仏」というところに「法の深信」が輝いている。】         

『真宗の教化・五三頁

 

]  延塚 知道 氏【衆生の存在の深奥から南無阿弥陀仏と名告りを挙げて浄土に往生させようとする如来の往相の回向と、外側から第二十二願に乗託してわれわれを護持養育し、浄土に往生させようとする還相の回向(師の教化)との、二種の回向に分けたのであろう。】                   

『【教行信証】の構造・一七〇頁

 

 

とさまざまな解釈がある。では聖典にはどう書いてあるか見てみたい。

 

 

証巻

 

    往相回向の(しん)(ぎょう)()れば、(そく)の時に大乗正定聚(だいじょうしょうじょうじゅ)(かず)に入るなり。   

【聖典・二八〇頁】

 

    『論註』に()わく、「還相」とは、かの土に生じ(おわ)りて、(しゃ)麿()()毘婆舎那(びばしゃな)方便力(ほうべんりき)成就(じょうじゅ)することを得て、生死の(ちゅう)(りん)回入(えにゅう)して、一切衆生を教化(きょうけ)して、共に仏道に向かえしむるなり。もしは(おう)、もしは(げん)、みな衆生を抜いて、生死海を()せんがためなり。このゆえに「回向を(しゅ)として、大悲心を成就することを得たまえるがゆえに」()(のたま)えりと。        【聖典・二八五頁】

 

    還相の利益(りやく)は、利他の正意を顕すなり。ここをもって(ろん)(じゅ)(天親)は広大無碍(むげ)の一心を宣布(せんぷ)して、あまねく(ぞう)(ぜん)堪忍(かんにん)群萌(ぐんもう)(かい)()す。宗師(曇鸞)は大悲往還(おうげん)の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の(じん)()()(せん)したまえり。 

聖典・二九八頁】

和讃                              

    弥陀の回向成就して 往相還相ふたつなり これらの回向によりてこそ 心行ともにえしむなれ

 

    往相の回向ととくことは 弥陀の方便ときいたり 悲願の心行えしむれば 生死すなわち涅槃なり

 

     還相の回向ととくことは 利他教化の果をえしめ すなわち諸有に回入して 普賢の徳を修するなり                                                                       

 

    如来二種の回向を ふかく信ずるひとはみな 等正覚にいたるゆえ 憶念の心はたえぬなり

 

    南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せり

 

    往相回向の大慈より 還相回向の大悲をう 如来の回向なかりせば 浄土の菩提はいかがせん

 

 

御消息集(善性本)

 

    安楽浄土にいりはつれば、すなわち、大涅槃をさとるとも、滅度にいたるとももうすは、み名こそかわりたるようなれども、これはみな法身ともうす仏となるなり。法身ともうす仏をさとりひらくべき正因に、弥陀仏の御ちかいを、法蔵菩薩われらに回向したまえるを、往相の回向ともうすなり。この回向せさせたまえる願を、念仏往生の願とはもうすなり。この念仏往生の願を一向に信じてふたごころなきを、一向専修ともうすなり。如来の二種の回向ともうすことは、この二種の回向の願を信じ、ふたごころなきを、真実の信心ともうす。この真実の信心のおこることは、釈迦・弥陀の二尊の御はからいよりおこりたりとしらせたまうべく候う。【五八九頁】

 

 

如来二種回向文

 

    還相回向・・・このこころは、一生補処の大願にあらわれたり。【四七七頁】

 

とある。続いて第二十二願を見てみたい。

 

 

第二十二願・必至補処の願・一生補処の願・還相回向の願

 

《たとい我、仏を得んに、他方の仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生(らいしょう)して、究竟(くきょう)して必ず一生補処(ふしょ)に至らん。その本願の自在の所化(しょけ)、衆生のためのゆえに、()(ぜい)の鎧を()て、徳本を積累(しゃくるい)し、一切を度脱(どだつ)し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙(ごうじゃ)無量の衆生を開化(かいけ)して、無上正真(しょうしん)の道を立てしめんをば除かん。常倫(じょうりん)に超出し、諸地の行現前し、()(げん)の徳を修習せん。もし(しか)らずんば、正覚を取らじ。》【聖典・一九頁】

 

 

とある。語句の意味を四十八願概説並びに四十八願講義から見てみる。

 

 

語句の捉え方

 

四十八願概説

 

u  遊諸仏国・・・菩薩は様々な仏の国を訪ね歩いて、諸仏に遇うということ。

 

u  供養諸仏・・・供養の根っこには尊敬し讃嘆する気持ちがある。尊敬の心を形に表したときに、食べ物や衣服を仏に差し出すということが起きる。ですから、尊敬すべきものが見つかったということが供養諸仏ということの実際です。諸仏の教えにより、一番大切のことが見つかるのです。そこに自らも諸仏の道を歩みたいという、その目覚めがあって初めて諸仏供養と言える。

 

u  開化衆生・・・現在は迷いに沈んでいる衆生も、将来には必ず仏になっていくべき存在なのです。開化衆生というのは、衆生を劣った者と見てのことではありません。共々に迷いを超えていく者として見出されていることが前提です。ですから、諸仏を尊敬するということと、衆生を導いていくという仕事は、実は同時なのです。

 

四十八願講義

 

u  普賢の行・・・何であるといえば、すなわち供養諸仏・開化衆生であります。第一に普賢であるから供養諸仏にちがいない。たとえばさびしがっている人があるならば、そのさびしがっている人を尊敬するのであります。

 

u  開化衆生・・・いろんな人が問題を持っている、その問題を開いていくのである。開化衆生というのは、要するに多くの人の持っている問題を開いていくのである。問をあきらかにするに問の意味をもってするのである。問をあきらかにするに別の答をもってするのではない。問をあきらかにするに問の意味をもってするのが、開化衆生ということであります。だんだん開いて「あなたのお考えを徹底すればこういうことではないでしょうか」、というふうに変化させていくのであります。変化させていくから開化衆生ということができる。

 

u  普賢の德・・・人生に随順するということであります。人間世界に随順していくのである。人間世界に随順するということは、苦しいことは苦しい、楽しいことは楽しい、白いものは白い、黒いものは黒い、こうあきらかに見ていくことである。それがすなわち人生に随順することであります。すべてそのまま見ていき、そうしてそのまましたがっていく、そこに一つの普賢道というものがある。浄土を願い彼の世に生ずる、すなわちこの人生を超えるという願往生人でなければ、普賢の德ということはできないのである。

 

u  一生補処・・・彼の世において知らず知らず自然に仏になるという、そういう一生補処の德を与えられる者のみが、ほんとうにこの世に普賢の德を成就することができるのであるということを顕わされているのであります。往生人でなければ、すなわち彼岸の世界に魂の籍を置く人でなければ、人生に随順するという余裕はできない、普賢の德という德を成就することはできない、ということを意味していると思われるのであります。

 

u  「其の本願の自在の所化、衆生の為の故に、弘誓の鎧を被て德本を積累し一切を度脱す」自在の所化、すなわち自由自在に衆生を済度したいということである。一切の人を救いたいというのが普賢の願いである。助かりたいという願いのどん底には、助けたいという心があるのであります。それで還相ではその願心が表面へ出てきました。その助けたいという願いはいかにして満たされるか。その方法は「供養諸仏」ということである。われわれは人にものを教えるということは到底できないのである。ただそこに供養諸仏という一つの道がある。供養諸仏という方法で、衆生を済度するのでありますから、その済度の結果は、「恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめ」るのである。すなわち「開化衆生」が結果である。開化衆生というのはどういうことであるかといえば、その人その人の道を徹底することである。供養諸仏・開化衆生はその人の道を開いていくのである。開化衆生は己れの道に入らしめるものではなくして、その人その人の道を開いていくものである。そういうところにほんとうに広大な天地が出てくるでありましょう。みなちがったことをいっていても、その言葉をおしきわめて諸仏の天地へ入ってみますと、そこに「常倫に超出して諸地の行現前し、普賢の德を修習せん」という第五の「常倫超出」ということが出てくるのであります。自然の大道に合いして、意の欲するところに従って矩を踰えずという自然の大道が現われてくるのであります。わが国に生まれるほどの菩薩であるならば「常倫を超出して」歓喜地から法雲地までの諸地の行が、いつでもただちにそこへ現われるであろう、「もししからずんば正覚を取らじ」と願われるのであります。その広大無辺なことは願往生心の還相として、そこへ与えられるのであります。それがこの第二十二の「必至補処の願」であります。

 

 

総 論

 

第二十二願もひとたび浄土に生まれることによって、人間の欲望中心に傷つけ合う生き方をしている世界を痛む心が起きる。傷つけ合うことを放っておけないという心が起き、浄土のいのちを捨てて、穢土に身を乗り出していくということが起きる。

 

私は教えを聞くまでは、自分の思いを中心に生きている。教えに出遇ったところに、はじめて阿弥陀仏を中心に生きていくということが起きる。ここに、今までの生き方が大きく転換する。「転成」という言葉でも表わされますが、これが往生の中身です。決して自分の居場所を何処かに変えるということではない。往還をあえて一言で言いますと、往相回向によって成り立つ往生浄土というのは、迷い苦しみの在り方、欲望中心の在り方がひっくり返って、浄土として教えられる世界を生きる者となる。そしてひとたび浄土が開かれた者は、この世に還るという方向が与えられる。自分さえ往生が定まれば、他は関係ないというようなことではない。いったん浄土に往生した者が、今度はこの世の痛ましさが見えるという形で、この世の問題に関わるということが起こる、これが「還」という字で表される方向。

 

「必至補処の願」と呼ばれる通り、直接的には必ず補処に至らしめたいということが願われている。あるいは「一生補処の願」というように、必ず仏処を補う者となる、これが第二十二願の内容。しかし、そこには「除かん」という言葉がある。それは、ひとたび浄土に生まれた者は、浄土に留まらずに、かえって穢土の問題に関わるということが起きる。これが「還相回向の願」という名前をもって第二十二願を読む親鸞聖人の視点だと思います。

 

私が娑婆を超えてしまえるのではありません。私は骨の髄まで、煩悩具足です。阿弥陀の教えに導かれることによって、娑婆の中にあって、娑婆を痛む眼をいただく。少しでも教えから離れれば、すぐに煩悩に振り回され、勝ったか負けたか、損したか得したかという思いに流され続けます。教えにたもたれるからこそ、世俗の価値観の中に出ていくことが成り立つ。

 

往相と還相は、往生という言葉がもつ二つの方向性。「往」というのは、この世を超えるということ。しかし、これはこの世と無関係になるのではありません。この世を超えていよいよこの世に関わるという、これが「還」という方向。この往相と還相の回向によって私たちの上に実を結ぶ利益、これが真実証として顕された。では実際に如来の回向はどこにあるでしょうか。それは「名号」という言葉として具体化している。如来からの呼びかけにある。この呼びかけに往相と還相の二方向があると言っても良いと思います。この世を超えなさい、浄土に往生せよという勅命が往相回向の呼びかけ。これに対し、還相回向とは、現実に向かわせる呼びかけ。浄土に生まれることはこの世と無関係になることではない、いよいよ五濁悪世に還るのだという呼びかけ。このような呼びかけにどこで遇えるか。基本的には阿弥陀仏の名号を通してということですが、実際には仏法に生きた先人の姿や言葉を通してであります。私に先立って阿弥陀の教えに生きられた人の上に仰ぐのです。人の姿を通して「浄土往生というのは、世を超えて世に生きることだ」ということが知られる。ですから、回向というのは根本を押せえれば、南無阿弥陀仏という名号ひとつ。それを開けば四十八願にもなるし、浄土三部経にもなる。それをもっと開けば、いろんな人のお姿を通して促しとして聞こえてくる。無数の出遇いが私たちを歩ませ、励まし、押し出す。如来の回向はいろんな形をとるのです。「往」というのは帰るべき世界が見つかったということ。その中身とは、何を中心に生きるのかが知らされたということ。自分の欲望、計らいを中心にするのではなく、仏が教える浄土という世界をよりどころに生きていく。それが決まる。そこに、世間を超えた眼をいただいて世間を生きて行くということが始まる。初めて自らの現実を痛むことが出来るのです。これが「還」という方向で教えられている。

 

では転成とは?

 

l  真の善知識とは、念仏のひと、聴聞できる人、供養諸仏できる人です。そして供養諸仏できる人とは、本当に自分の愚かさを知って、聞くしかないんだ、自分だけが救われていない人間だ、自分こそが聞かなければいけない人間なんだ、ということを知っている人です。この人に会うということが私達の人生において最も大事です。親鸞聖人がお会いした法然上人はまさにそのような人です。「転成の智慧」の人です。清沢先生がお会いした親鸞聖人も「転成の智慧」の人です。暁烏先生がお会いした清沢先生もそうです。生涯、求道をされた。清沢先生ほど全身をもって、血みどろの聞法精進、求道精進をされた人は少ないです。その清沢先生に暁烏先生が会われたのです。そして、持っている主義主張をすべて崩され、自分がこういう人間だと高上りする思いを全部崩された。清沢先生が生きておられた時だけではないです。むしろ清沢先生が亡くなった後に、清沢先生の教えというのは、頭の高い自分に気づけ、「自分は本当は、誰に対しても頭を上げることのできない人間である」ということに気づけということです。その一つのことに気づくか否かということが私達が救われるかどうかということを決定するのです。    

【暁烏敏先生五十回忌記念講演集・八十一頁

 

とある。冒頭に挙げた四つの言葉が気になる私は「自分は本当は、誰に対しても頭を上げることのできない人間である」と気づいていない確かな証拠である。

 

 

【南無阿弥陀仏】

  

本 願 (悲心)       

【本願の知恵が不安という形で人間にきているんです 不安が如来なんですわ】 安田 理深

 

 

 

私はどこにいるの

 

◎私は現在四十三歳になる。二男一女の父である。最近は疲れがとれにくく、新しい事に挑戦することを思わなくなってきた。一言で言えば守りに入ってきたようである。そんな時にシルバー川柳という本に出遇った。

 

¯  このオレに あたたかいのは 便座だけ

 

¯  ブリはいい! 生きてるだけで 出世する 

 

¯  「パパ()いい!」それがいつしか「パパ()いい」

 

¯  「前向きで」 駐車場にも 励まされ 

 

¯  石油危機! 使って下さい 皮下脂肪

 

¯  Tバック 俺にもくれと 湯呑出す  

 

¯  ナタ・デ・ココ どこを切るのと 聞くオヤジ

 

¯  ドットコム どこが混むのと 聞く上司  

 

¯  よく言うよ 金は天下で 回りっぱなし

 

¯  漢字でず 辞書を引けども 目が見えず  

 

¯  探しもの やっと探して 置き忘れ 

 

¯  無農薬 こだわりながら 薬漬け    

 

¯  目薬を 差すのになぜか 口を開け

 

 どうも私の現実はここらへんで生きているようだ。現実は寂しく・情けない人生に感じる。

 

◎私の祖父と祖母は戦争中は樺太にいたようであると聞かされてきたが、昨年父が他界して銀行から出生~他界までの証明書を提出して欲しいと言われ、市役所に問い尋ねたところ父の出生は樺太だと言われ、銀行から取って来いと言われたので、腹が立って銀行に「費用は出してやるからお前が樺太まで行って来い」と思った。そんな時にテレビ番組で特攻隊の番組を偶然見て、戦争中とはどんな世界かを改めて考えさせてもらい。その中で一番感銘のあった文章を書かせてもらう。

 

]  ―英霊に捧げられた 母からの手紙と花嫁人形―武一よ。貴男は本当に偉かった。二十三歳の若さで家を出て往く時、今度逢う時は靖国神社へ来て下さいと。雄々しく笑って往った貴男だった。どんなにきびしく苦しい戦であっただろうか。沖縄の激戦で逝ってしまった貴男……。年老いたこの母には、今も二十三歳のままの貴男の面影しかありません。日本男子と産れ、妻も娶らず逝ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。今日ここに、日本一美しい花嫁の桜子さん(花嫁人形)を貴男に捧げます。私も八十四歳になりましたので、元気で居りましたら又逢いに来ますよ。どうか安らかに眠って下さい。有がとう。母 ナミ」

 

国民の遺書【靖国の言乃葉】

 

このような方々のおかげで私はここに生かされているようだ。涙と共に頭が下がる。

 

 ◎最近、教学研究所に入れてもらって6年目を迎えたが、私の生活の現状はふらふらとその場凌ぎをしているだけで、歳だけが勝手に取っていくという現状である。何をしているのか、私の人生なのにわかっていない。どうもどこにいるのかさえわかっていない。そこでどこにいるのかを六つの例題の中で確認してみたい。

 

]  人間がもつさまざまな恐怖を五つに分類し「五怖畏(ごふい)」といいます。①不活畏(ふかつい)・食べていけなくなるのではないかという怖れ。生活の不安、とくに衣食住の不安。②悪名畏(あくみょうい)・周囲から悪く思われているのではないか、悪口を言われているのではないかという怖れ。絶えず周りを気にしているということ。これはよく思われたいという心の表れ。③怯衆畏(こしゅうい)・世間態を気にする怖れ。世間が何と言っているだろうか、どんな評判を立てているだろうか、そのことが気になってたまらない。実体のない世間の思惑ばかりを気にしてビクビクしている。④命終畏(みょうしゅうい)・死に対する怖れ。⑤悪趣畏(あくしゅい)・「悪趣」とは「三悪趣」といい、「地獄」「餓鬼」「畜生」の苦しみ。そこには孤独、嫉妬、欲にまみれた自分しかありません

もしもあなたが、あと一年のいのちだとしたら(九二頁)

 

]  「天人五衰」といって、五つのことが衰える、五つのものを失うといいます。①天人のような生活をするようになると、まず生活に張りがなくなる。環境条件に恵まれて、暑くもなく寒くもなく、ひもじい思いをすることもなく、寝る場所を探すこともない。そういう状態になると、生活に張りがなくなる、手応えがなくなる。②健康ノイローゼになる。③気力が落ちる。「まあ、いいわ」と思うことが多くなって、「どうしてもやってやろう」とは思わなくなる。④誇り・プライドを失う。「このことだけは譲れない」「どんなに貧乏しても、どれだけ追い詰められても、嘘だけはつかない」「他人のものには手をつけない」⑤「不楽(ふぎょう)本居(ほんご)」天人のような生活をするようになると、どんなに楽しいことがあっても、どんなに恵まれていても、その状況を心から喜ぶことができなくなってしまう。欲しい欲しいと思っていたものが手に入っても、そのときだけはちょっと嬉しいのでけれども、「次はもっと・・・」ということになってしまう。

真の人間教育を求めて(一一~一三頁)

 

]  第一願・無三(むさん)(まく)(しゅ)の願たとい我、仏を得んに、国に地獄(じごく)餓鬼(がき)畜生(ちくしょう)あらば、正覚を取らじ。(」十五頁) 

 地獄・餓鬼・畜生とは三つの悪趣で、悪とはお互いに傷つけ合う痛ましい在り方を意味します。この三悪趣が無いような国を建てることを法蔵は願うわけです。源信僧都の『往生要集』には、最も苦しい地獄が「無間地獄」と教えられます。そこには、「我、今、帰る所なく、孤独にして同伴し」と書かれています。苦しみの極まりを「孤独」だと書いてあるのです。誰も一緒に来てくれる者がいない全くの孤独です。「ごめんなさい」という言葉を失って生きてきた者の行きつく世界です。餓鬼というのは貧りの心、つまりもっともっとという不満足が本質です。永遠に満たされない在り方です。この不満の心というのは、実は本当の満足がわからないのです。自分がどうなればよいのかがわからないのです。「ありがとう」という言葉がない世界が餓鬼です。畜生とは、自分を中心にして他を顧みることのない生き方を畜生というのです。全く自分自身を抑制できない。自己関心のみが強烈で全体のことを考慮するということも、まずない。まさに傍若無人。傍に人なきが如く自己を主張し、自分の思いのままに生きるということがいよいよ強くなってきているかと思います。畜生は「傍生」と言われます。傍らに生きるという意味です。これは主体性をもたないものという意味です。言わば、世間の価値観に飼われて生きているのです。私たちに対して、欲をふくらまして世の中に押し流されることは、お互いに傷つけ合うことをまぬがれないと教えるのが第一願です。仏教では地獄を「無明」と表します。愚かさです。餓鬼は「貧欲」と表します。畜生は「瞋恚」、いかりで表します。これらを「三毒の煩悩(欲・怒り・愚痴)」と言います。欲【財欲(金がほしい)・色欲(異性とつき合いたい)・飲食欲(飲みたい・食べたい)・名誉欲(位がほしい・有名になりたい・認められたい)・睡眠欲(ラクがしたい・眠たい一杯の心)】・怒り【欲が邪魔されると腹立つ心】・愚痴【ねたみ、そねみの醜い心】これが自害害彼の根本であると教えているのです。これらをどこで離れていくことができるのか、これが法蔵の四十八願の出発点に置かれているのです。                        

四十八願概説

 

]  私たちは六種類の迷いの状態で生きていると言われます。人間はいろいろな精神状態をぐるぐる迷っているわけです。その迷いは六種類あって、それを「六道」または「六趣」と言います。その中で、最悪の状態を「地獄道」と言います。苦しくて苦しくて、希望がもてない、ひとときも安心できない、まだ繋がっていたいのに関係を切られてします。居場所がない、そういう状態を「地獄道」と言います。それから、欲に引きずられ、誘惑に目がくらんだり、満足できない状態のことを「餓鬼道」と言います。欲しいものが得られても、もっと欲しい、いくらでも欲しい、ほかに分け与えることなどできない、常に何かを請求し続ける状態が「餓鬼道」です。次に、自分からやる気を出さず、何か餌で釣られるか、脅されないとするべきことをしない、そういう無気力の状態のことを「畜生道」と言う。「畜生」とは、動物や家畜のことです。食欲と性欲と睡眠欲だけの状態とも言われます。ここまでの三つの状態を、特に「三悪道」とか「三悪趣」と言います。いつの間にかイメージが変わってしまいましたが、「三途の川」と言われる時の「三途」も、もともとはこの三つの状態を指します。それから、人と比べて勝ったとか、負けたとか、勝ち負けにこだわって人を憎んだり腹を立てたりしている状態、その結果、争ったり暴力で相手に勝とうとしたりする状態のことを「修羅道」あるいは「阿修羅道」と言います。人と争っているところを「修羅場」と言ったりします。次に「人道」とは、年を取ったり病気になったりしないかと、そうなる前から察知して苦しむ。勝手に想像して苦しむ。苦を自覚する、そういう状態を「人道」と言います。それから、環境条件に恵まれて、暑くもなく寒くもなく、住むところにも食べる物にも困らず、寿命も長く、病気も少ない状態にいるけれども、その恵まれた状態を当たり前だと思い、いま手に入れている幸せを失うのではないかと、びくびくしながらいる状態があります。それを「天道」と言います。病気になるのではないか、怪我をするのではないか、貧乏になるのではないかと、びくびくしながら、そうならないようにと、思い通りにならないことから逃げ回って生きている。生きることより死なないことに関心が向きます。一見、とても幸せそうですが、これも迷いの世界で、そのことを「天人」の世界と言います。このように、私たちは、時には地獄、時には畜生と、この六つの迷いの世界をぐるぐる回っていて、どんな状態になっても、安心し、自信を持って、私は私のこの大切な尊い人生を、大事に生きているという安心感を持てません。その状態を一歩抜け出したのが、お釈迦さまであります。そういう意味で、七歩あるいたという伝説が残されているのです。

お誕生おめでとう生まれてくれてありがとう(二一~二四頁)

 

]  四人の女性のたとえ【『雑阿含(ぞうあごん)(ぎょう)一巻に出ている物語】 あるところに、四人の婦を持っている人がいました。第一の婦は、彼が最も大切に可愛がっていて、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、いつも手ばなしたことがなくて、衣服も食事も、言うがままに贅沢をさせて、暑いにつけ寒いにつけ、よくいたわっていました。第二の婦は第一の婦ほどではありませんでしたが、それでも随分可愛がってやりました。もともとこの婦は、他人と争ってまで手に入れたので、いつもそばに()べらせ、その姿が見えない時は、大変淋しい思いをしたものでした。第三の婦は、時々会って、楽しむ程度で、何かとっても淋しかったり、悲しかったりした時に、恋しがる程度でした。第四の婦は、彼が所有しているというだけで、ほとんど召使いのように扱い、こき使うばかりで、やさしい言葉一つかけてやったことはありませんでした。さて、栄耀栄華にふけっていたこの男にも、死の病がおしよせて来て、とうとう余命いくばくもない、ということになりました。そこで、今まで賑やかに暮らして来たこの男は、一人で死んで行かねばならないのが、淋しくて、悲しくてならず、一番可愛がっていた第一の婦に、一緒に死んでくれるように頼みました。すると、婦「せっかくですが、私はあなたのお供はいたしません」男「今まで誰よりも、お前を可愛がって来たじゃないか、一緒に死んでくれよ」婦「今までいろいろお世話になったことは認めますが、それでも、一緒に死ぬなんてとんでもない話です。絶対にお断りします」男は第一の婦の薄情を恨みましたが、仕方なく、それではと第二の婦呼びました。男「おまえなら一緒に死んでくれるだろうな」婦「とんでもないことを言わないで下さいませ。あなたが一番可愛がって大切にしていた人さえ、ついて行かないのに、何で私がついて行きますか」男「お前を家に入れるのには、随分苦労したのに、一緒に死なないとはどういうことだ」婦「それは、あなたが勝手に私を求められただけのことでしょうが、私からお願いしたのではありませんよ、とにかく死ぬのはお断りです。馬鹿馬鹿しい」男はがっかりして、第三の婦を呼びました。男「お前なら一緒に死んでくれるだろうな」婦「日頃、御恩を受けておりますから、火葬場まではお見送りしましょう。しかし、それ以上は絶対いやです」男は仕方なく、しぶしぶ第四の婦を呼びました。男「お前のことは、今までちっともかまわずにいて、今さら頼みにくいんだが、一緒に死んでくれないだろうか」と申しますと、第四の婦はさめざめと泣きながら、婦「両親のもと離れて、あなたのところに来たから、一身同体の覚悟で、あなたに仕えています。なんで死のお供を嫌いましょうか。ご一緒にどこまでもついて参ります」と、返事しましたので、男は一番粗末に扱っていた第四の婦を連れて、死の旅におもむかなければならなかったのでした。これは一つの()()(たとえ)を示したのである。まず四婦をもった男というのは、人間の(たま)(しい)(生命の流れ)を指していうのだ。そして第一の婦というのは、人間の身体のことである。人間は何よりも身体を大切にする。しかし、命終るには、(たま)(しい)だけが罪業を背負って行き、身体は地上に残して行かねばならないのである。第二の婦というのは、金銀財宝をさすのである。人間は財宝を得るために、随分苦労をし、他人に迷惑をかけてまで貯えて喜んでいるが、死ぬ時はすべて、置いて行かなければならないのである。第三の婦とは、父母、妻子、兄弟、友人等をさすのである。悲しみながら、火葬場までは送ってくれるが、それだけのことではないか。第四の婦というのは、人間の心である。世の中に自分の心を愛し、大切にするものはいない。みんなほったらかしにして、貧瞋(とんじん)煩悩(ぼんのう)のおこるにまかせて、正理(しょうり)正法(しょうぼう)を信ずる者は少ない。しかし、死ぬ時は、この心だけが(たま)(しい)につきしたがって、離れないのである。                    

仏教のおしえ(六〇~六五頁)

]  釈尊の抱かれた悩み―四門出遊の物語―釈尊が出家をされる出家の動機というのが、四門出遊の物語として語られています。簡単に説明しますと、釈迦族の居城はカピラ城といいますが、釈尊はその居城の東の門から出て年寄りに出会い、南の門から出て病人に出会い、西の門から出て死人に出会い、そして北の門から出て沙門に出会って、沙門となって出家をするというのが物語の粗筋です。この物語には非常に深い意味が含まれていると思います。なぜかといいますと、釈尊は城の外に出られて、年寄りに出会って、驚いて急いで城に立ち戻って、部屋に閉じこもって、もの思いにふけった。次に、今度は南の門から出て、病気で苦しんでいる人に出会って、また驚いて急いで城に帰った。西の門から出て、死骸が転がっているのを見て驚いたというのです。これはいったいどういうことなんだろうかということです。そうすると城の中には、老人や病人や死人はいなかったのかという話になるわけです。ところが物語では釈尊が部屋を出られる時は、釈尊に老人や病人の姿を見せないように隠したと、そのように物語られているわけです。これはいったい何を意味しているのだろうかということです。これについて非常に注目すべき解釈をされているのが『養老孟司の〈逆さメガネ〉』という本です。その中で、この四門出遊の物語について「城の中は都会ですから、都市化の世界である」ということです。そして城の外は、自然なありのままの世界であるという、そういう関係です。養老さんは、そのような都会と自然という関係をこの四門出遊の物語に重ねるわけです。都市化とは何かといえば、まさしく私達の現在の生活です。昨今はテレビを観るのが嫌になるほどコマーシャルが溢れていますが、それらのほとんどは健康食品のコマーシャル、老化を防ぐコマーシャル、歳より若く見せるコマーシャル、そして、入院保険のコマーシャルです。これらが、私からいわせると養老さんの都市化ということだと思います。同じように、釈尊の城の中では、年寄りはいないかのように、みんな化粧をして着飾って、それなりに若く見せていたわけです。また、城の中では、病人が出れば医者がいて治してくれたわけです。ですから、老人や病人を隠したということは、城の中でも私達の都市化と同じことが2500年前に行われていたのであるというのが養老孟司さんの了解です。釈尊は、そういう虚飾に満ちた生き方に愛想をつかしたのであると。このような城の中の生活に愛想をつかすきっかけとなったのが、城の外に出て、自然のままに生きている多くの貧しい人達の現実であったわけです。化粧などしてない、綺麗な着物もない。自然のままに老いていく。病気になっても医者はいない。そして、死ねばうち捨てられていくような、そういう城の中とはまったく違った自然のままに生きている多くの人の姿を見て、生・老・病・死という「いのち」の本当のあり方に出遇ったのです。これは城の中で生活していた釈尊にとっては、たいへんなショックだったであろうと思います。釈尊は城の中での都市化された生活には耐えられなかった、虚飾に満ちた生活に愛想をつかしていた、そのような釈尊は、城の外で出会った自然のままの生き様の中に、本来のあるべき人間の生・老・病・死の現実を見たのでしょう。そこに、釈尊は、どんなに誤魔化しても誤魔化しきれない、生まれ死んでいく私達の「いのち」の本当の姿が何であるかということを見てとったわけです。どんなに綺麗に着飾っても、どんなに病気を治しても、必ず死んでいく。そういう現実を見えなくしているのが都市化された城の中であったわけです。そういう意味で、養老孟司さんは、釈尊は都会に住んでおられなくなった「都会人のなれの果て」であるというわけです。今こそ人間は、都市化の中で見失われている「自然」を回復しなければならないというわけです。生・老・病・死という避けることのできない「いのち」の事実から目をそらして生きることの空しさの中に私達もいるわけです。多少長く生きるか、短く生きるか、多少楽に生きるか、苦しく生きるかの違いがあっても、必ず死んでいく。そういう生・老・病・死の現実を城の外で目の当たりにして、彼らの「いのち」と、虚飾に満ちた生活をしている自分達の「いのち」とは、生・老・病・死する「いのち」としては同じではないかという、そのような「いのち」への眼差しを持ったということが、釈尊の四門出遊の物語という出家の動機という根底にあるのではないかということです。城の中で虚飾に満ちた優雅な生活をしている人達、それは現在の私達です。経済的繁栄の中で生活をエンジョイしています。しかし、この経済的な繁栄は、自爆テロなどによる悲惨で不幸な人達をつくり出しているわけです。そういう人達の貧困の上に成り立っているわけです。それと同じことを釈尊は見たのだともいえます。差別されて惨めな生・老・病・死を生きている城の外にいる人達、その人達の犠牲の上に豊かな城の中での生活がありえているということへの眼差しを持ったということでしょう。私達は、平和とか平等とかを軽々しく口にしているけれども、今まさに、戦争の真っ只中にいる人達、病気になっても救いの手がない人達、豊かな国の経済発展の為に犠牲になって、それによる貧困の中で餓死していく人達、そういう人達をつくり出している、城の中にあるのは、私達の経済的繁栄があるという私達の現実とまったく重なってきます。城の中にあるのは、私達の生活であり、城の外にあるのは、イラクとか、あらゆるところで豊かな国からの侵略を受けて、貧困に喘いでいる人達の姿、それに重なっていくのではないかと思います。単に歳を取り、病気をし、死ぬのが嫌だ、それだけの話ではないのです。城の中の人達も、現代の私達も、健康を保持し、若さを保持し、そして生きることを保持しているけれども、必ずそれは老・病・死になっていく。どれだけ若さを謳歌しても必ず老いていく。そのような老・病・死という「いのち」の事実を覆い隠して、若さを謳歌し、生を謳歌しているそのこと自体が、もうすでに老・病・死という苦の根源になっているということです。そのことに釈尊は気がつかれたのです。この四門出遊の物語という出家の動機をこのように解釈してよいのではないかと思います

真宗にとって「いのち」とは何か(二四~三二頁)

 

私はこの六つの例題の中で間違いなく日々を過ごしていると感じる。だから苦しいようだ。この苦しさから抜けたい・抜けたいと叫んではいるが、どうしても抜けられない。浄土真宗においては念仏・信心・本願とよく聞くがそれはどのようなものなのか、先人の言葉を聞いてみる。

念仏・信心・本願【先人の言葉】

 

]  暁烏先生・「念仏を称えるのなら一生懸命称えりゃいい。声出して称えりゃいい。一心不乱に称えりゃいい。「そりゃ自力でござんせんか」自力でも他力でもいい。そんな自力だの他力だのということを聞かんでもいい。称えりゃいい。うんと称えようと思って称えるがいい。称えていくうちに称えられることも出来んようになる。そこで称えるということを超えて、称えられん自分の根性がわかる。そこまでやってみにゃいかん。始めからいいつもりになって十八願に入ろうとする。(が、そこは)やはり三願転入です。自力から半自力半他力、それから他力。」

死にしなの念仏(一一〇頁)

 

]  お念仏とは、どこか悟りの境界(きょうがい)にこもっておられる阿弥陀如来に向かって呼びかけることではないのです。私が称えるに先立って、私が念じたまう仏の心に目覚め、頷き(したが)う、その心が声となってあらわれるのが念仏なのです。(五七頁)

 

]  信心は、私がこちらから釈迦・弥陀を信ずる心ということではなく、逆に釈迦・弥陀によって開発せしめられた心、呼び覚まされた心であり、したがって「如来よりたまわりたる信心」(嘆異抄)と尊ばれるのです。信心は私の心、人間の心ではないのです。私の自我の心、理知分別に覆われてある心を破って、私を満たし、私を歩ましめている心なのです。

和讃に学ぶ・正像末和讃(一四四頁)

 

]  暁烏先生・「子どもがはじめて立てるようになると《立った立った、ここまでおいで》と親が言うように《やれ!わしが見ておるぞ。きっとできる、できるからやってこい》と呼んでくださる仏さんからもらうのです。それが信心です」

賜る願い限りなく(二〇二頁)

 

]  「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき」『高僧和讃』・阿弥陀如来さまのかけてくださった願い、その願いを私に届けんがために、阿弥陀仏という仏さまは、「南無阿弥陀仏」と称えた今、私の心の上に届いてくださったのです。これを「念仏」という。何しに私の上に届いてくださったのかというと、本願に気付け、帰るところに気付いてくださいということ。帰るところがちゃんとあると、悲しいことに出会ってもいいのです。何にも人生は、ばら色ばかりでなくていいのです。しかし、それらがみんな私にとって尊いご縁でしたと、ちゃんとそこへ帰ると落ち着いていける。そこへ帰ると無駄なくなっていく。そういう人生を歩んでくださいと願い続けてくださっているのが阿弥陀如来なのです。その心を「本願」というのです。その心を届けるために阿弥陀仏はついに念仏となられて、南無阿弥陀仏と称えた今、私の心の上に阿弥陀仏が届いてくださった。念仏は私たちが阿弥陀仏に直接出遇える尊い仏道なのです。お念仏は真ん中に誰もおらんでいいのです。阿弥陀さまと直接に、またしかもどこででも、出遇っていける仏道なのです。 

第41回金沢教区同朋大会(三十三~三十四頁)

 

四つの先人の言葉を聞いて、私という人間は「そうなのか」と思う。が頭が下がらない。どうして先人の方々は頭が下がるのに私は下がらないのかを考えてみる。

 

 あたまが下がるか・下がらないか

 

三味線婆ちゃん

 

]  「仏法いうもんはその日一日や。今日の一日が、うれしいこと、たのしいこと、さわやかなこと、きよらかなこと。そやさかい、死んで極楽へ行きたいとも思わな、よろこんで今日の出来事受けて、苦しみがあってもその苦しみと一緒にいける道があるのや。そこが肝心や。」三味線婆ちゃん(一〇八頁)

 

 高橋 卯平

 

]  『頭の下がらんものだということを信じさせてもらう。おじいちゃん(卯平さん)は「頭を下げさっしゃい、頭を下げさっしゃい」と教えて下さった。「下げるけいこをしてみれ、下がらんことがわかるぞ。下がらんもんだからこうやって出て来てはけいこさせてもらうんだ、皆さんの所へ来て育ててもらうんだ、といっておられた。「頭を下げよ」と教えられると、下がるもんだと思うので間違う。はじめは真似をさせてもらって、それで下がったように思うが、下がらん自分であることを知らせてもらうだけです。」』

 

]  「下げたとか下がったとか思っとるのが早や頭を上げとることだもの。」

 

]  「下がらんわが身だということをしらされ、そこでお念仏に変えさせてもらう。自分が下がらんので、なむあみだぶつの親に下げてもらう。お慈悲が思わせて下さる。」

 

]  「相手が悪い間は楽にならない。自分が悪いので楽にしてもらえる。」

 

]  「自分が悪いというところではじめて親に逢わせてもらえる。」

 

]  爪の垢ほどでも自分にいい所があったら楽にしてもらえない。微塵もいい所がないおかげで楽にしてもらえるもね。」

 

]  『善きことがあれば他にゆずられ、悪しきことがあれば自分に取って、「私が至らんので、すみません」といわれて頭を床にすりつけ「私が悪かった、ゆるして下さい」「ようこそ言って下さいました」と、つねづねお念仏と共に、目の前のお方を仏さんといただかれた尊いお姿にいつもあわせていただき、今もあのお姿が心の底からはなれることがありません。』(一二三~一二七頁)

 

]  「仏法にあえないのはごまかしているからだ。「死」を遠い所へ置いているからだ。」(一六九頁)

 

]  『娘のハル・おとうさんを「法に縁の深い人だったとは思うが特別の不思議の人とは思いません。望み願いの強い、我の強い、人一倍、しあわせを願って努力した人だとはおもいます。不思議(奇蹟・霊験)ということは信じない、事実でないと信じない人だった」』(一八七頁)北の大地に念仏の華ひらく

 

]  人間の不幸、悲しみというものは、金がないとか、偉くなれないとかそんなことでないんです。本当に頭の下がる、帰依するものを持てないというところにあるんです。曽我先生もおっしゃっています。「人間は本当は頭を上げたいじゃない。頭を下げたいんだ。しかし、その頭の下がるものに出会えないんだ。どこかに、本当に頭の下がるものがないか、それが人間の問題なんだ」と。本当に帰依することの出来る、崇める事の出来る、拝むことの出来るものに出会えれば、どんなに下におってもいいんですよ。そこに本当の満足、幸せがあるんです。けれどもなかなか、本当に自己を無にして拝めれる、崇めれるものに出会えないんです。それで自己を保持しょうとし、自分の我を立てずにおられないんです。本当に自分の全体をあげて帰依し、そこにひざまずく、そういうものに出会えないことが私たちの最大の不幸なんです。そのために私たちは曠劫巳来(こうごういらい)流転(るてん)の生を繰り返してきたんです。

蓮如上人いまさずは(三七~三八頁)

 

暁烏先生

 

]  「浄土真宗では亡くなった人は浄土に往生して仏となっていると信じている。なぜそんなことが信じられるようになったのかというと、一朝一夕でそんなことが信じられるものではない。それが今信じさせていただいているのは、「たまたま行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」といわれますように、ついやちょっとのことではないのです、といわれて、如来様は私を助けるために、親となり、子となり、妻となり、夫となり、善人となり、悪人となり、智者となり、愚者となり、男となり、女となり、あるいは生きて見せ、あるいは死んで見せ、あるいは打ち、あるいはなでてお育てくださったのであります。と言っておられます。このように、身近に凡夫の姿をとって私の周りに生きて下さっている、そういう人達のさまざまのお育てをいただくからこそ、はじめて「そうであったか」ということに気づかせていただく。そのためには仏さんはこの私とまったく変らない、時には私よりももっと駄目な人間の姿をとって現れてくださる。そこまでの善巧方便なくして、弥陀の本願念仏をいただけるような私ではないのです。」

二つの出遇い(四二~四三頁)

 

]  私達には最初は尊敬できない人が大勢いるのです。尊敬できる人の数は非常に少ない。ところが、聞法することによって、内省することによって、新しい先生がどんどん見いだされてくる。光がどんどん大きくなりますから、その智慧によって、新しい先生が見いだされていく。菩薩の修行とはどういうことかと言いますと、上がっている頭がだんだん下がってくるということです。そして、下がってくると、いままで見ていたものの見方が変わってくるということです。今まで、あんな奴は、尊敬できないと思っていた人も、あの人は私になにか教えを与えて下さっているんだと、人々の見方が変わってくる。相手が変わるわけではないですよ。こちらの頭が下がるにしたがって、仏様の数が増えてくるのですね。そういうことが加速度的に仏様の数が増えるということの意味です。」(七五~七六頁)

 

]  「仕事の評価も、自分の人生の意味も、すべて如来にお任せすればいい。この世に御用のある間だけ生きさせて貰い、御用がなくなれば焼き取って貰う。生死の一大事は、すべてお任せすればよい。自分の力でどうこうできる対象ではないのだ。一切、あちら側にお任せする以外にないのだ。自分にまつわりついている一切の執着に、手を離すことなのだ。そうすれば、本当の風景が見えて来る筈である。自分が本願と一枚になる、本願に乗じさせて頂く。これが、自分が自分に出会い、自分が自分になりきり、自分が自分を忘れきることではないのか。そこで、一日一日をにこにこ暮らすことになる。自分が自分に真正面から出会いつつ、充足感を持って生きる。それが、人生の至福なのではないか。それ以上のものは、人生に対して、何も求められないのではないか。一日一日、にこにこ暮らすことが、毎日の日課であり、人生の重大事なのである。この事の外に、人生の価値は何一つないのである。自分が自分を徹底的に生かされきる。そのために、自分がもう一人の自分に出会いつづけることが必要である。もう一人の自分は、如来のいのちである。如来のいのちの中でしか、この自分は全身全霊で一枚になり得ないのではないか。」(一三四~一三五頁)

 

]  だその日その日をありがたくいただいて、その日その日にあてがはれた仕事、あてがはれた所作をして、そして御用を勤めさしてもらう。この世一生は素直に御用を勤めさしてもらって、この世の因縁が尽きたとき、あの世のお迎へをうけて素直にゆく。この世は機嫌よく働いて、命終れば機嫌よう終りをつげてゆく。それが我々の生死解脱の一道であります。」(一三五頁)

 

]  「人間にとって、毎日、生まれなおすことが大切だ。日々新しくなる。今日という日を一心に生き、一心に開く。人間、ややもすればこれだけ努力して来たのだから、ここらで一休みしたっていいのではないかと、とどまりやすい。これではいけない、隙があるというわけだ。こだわらないということは、同じ所にとどまらないということである。その場を破るということである。一日一生、日々生まれ変わる。そのエネルギーの根底に何があるのか。何があれば、それが可能なのか。生死を賭した願いである。願いの強烈さだけが、それを可能にする。得たもの、つかんだものは、宝海の一滴にすぎないのではないか。それを自覚したら、毎日、両手で宝海の水をすくいつづける以外にない。人間にとって必要なものは、得たものではない。喜ぶことも一瞬のうちに投げ捨てないといけない。喜ぶということも迷いである。これを悪魔として退けることが必要である。瞬時もとどまらないということが、無礙光を頂く絶対条件である。そのためには、仏に礼拝することを繰り返す以外にない。礼拝というもっとも具体的なもっとも平凡な所作を繰り返すことだけである。礼拝の行為を言語化したものが、南無阿弥陀仏と唱えることである。これは、身体全体で、沈黙のうちに唱えることができる。日常生活の一呼吸、一呼吸、南無阿弥陀仏になりきれるよう訓練していく以外にない。」(一四七~一四八頁)

暁烏敏先生五十回忌記念講演集

 

以上の五つの言葉から私が感じるのは、何も言葉が出ないという事である。少なくとも私が今までの生き方からではどうあがいても出てこない言葉である。ここまでいわれると何の意見も思考もなく。ポカーンとした感じである。自力の思考をすべて「無」にさせられた様な感じさえする。たぶん今までの生き方をすべて否定されているように感じるのであろう。

 

]  念仏【何をやっても、何をこね廻しても、みんな崩れてゆく、崩れてゆく音が念仏かも知れぬ】

 

]  本尊【拝まない者も おがまれている 拝まない時も おがまれている】

 

総論 

 現在、私は教研年になるわけだが、今まで四十八願中・一期目の中間発表で第十一・十二・十三願・卒論で第十七・十八・十九・二十願・二期目の中間発表で第二十二願そして今回は第一願を中心に卒論を書いてきたわけだが、すべて本願とは何かに繋がっている。六年前(三七歳)教研に入った時点で思ったことである。

 

現時点(四三歳)での私にとっての本願は【他力本願】とか【如来よりたまわりたる信心】とかそんなことは私にはわからないし、わかる必要もないと思っている。だが、『人生において苦しみ・悩みがなくなることはないけれども逃げず(前に進む・解決することではない)に一緒懸命生きてください』と『それが、人間が人間として生かされつづけるということだ』といわれているように感じる。十九願・二十願から十八願があるように自力を尽くして他力に気づくといったような、一生懸命という世界のあとに他力に気づく世界があると戴く。

【天命に安んじて 人事を尽くす】 清沢 満之

 

 

南無阿弥陀仏